2018年12月27日

「新世紀の横光利一」展のお知らせ

本当に、久しぶりの「研究室かわら版」です。
1月以来ということで、歳の初めと終わりに1記事だけですかr、もう消滅したかと思った方も多いのでは。
まぁ、今年も非常に忙しくて(今もそうですが)、まったく余裕がありませんでした(今もそうですが)。
ただ、今回は、どうしても告知しなければならないことがあって、書き込みを再開です。

それは、2019年3月2日(土)〜30日(土)に、目黒区立駒場公園内にある「日本近代文学館」で「新世紀の横光利一」展を開催するということです。この展覧会は、私を含む10人の実行委員会の主催によるものです。

チラシができ上ってきたので、添付します。
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東京での単独回顧展としては、実に37年ぶりになります。
今回は、全集未収録の新資料をいくつか展示します。
・谷川徹三(谷川俊太郎氏の父親)宛の横光利一書簡、16通!!!
・1936年の渡欧時の「歐洲メモ」
・1937年1月のラジオ講演の下書き原稿「文学と科学」
など。

是非とも観に来てください。「文アル」の看板も出す予定です。

また、以下の関連イベントもあります。会場はいずれも日本近代文学館の講堂です。
(1)3月16日(土)に横光利一文学会の大会が開かれ、千葉俊二先生のご講演があります。来聴自由です。
(2)3月21日(木・祝日)には、前衛的無声映画「狂つた一頁」を、弁士とピアニストを付けて上映いたします。こちらは予約制で、観覧料は1,000円です。



posted by 石田仁志 at 19:37| パリ | Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月02日

2018 Bonne Année ! 1年ぶりです。

明けましておめでとうございます。
昨年の3月下旬にパリから帰国して、あっという間に1年が過ぎてしまいました。ブログを更新していなかった為に、ご心配をおかけしました。
4月にこれまでの学科から新設の国際文化コミュニケーション学科に移籍し、自分の教育を模索し続けています。新しい先生方や学生さんとの出会いから大いに刺激をもらっています。
それを自分の研究や教育にどう結びつけられていけばいいのか、考え続けた9ヶ月でした。
これからは、また少しずつ研究室ブログでいろいろと発信していきます。

それで、まずはお知らせです。
1月20・21日に東洋大学で、文化コミュニケーション、日本文化表象(村上春樹)、日本語教育に関する国際シンポジウムを開催します。
詳しくは東洋大学の学科HPをご覧下さい。入場無料、来聴自由です。
ストラスブール大学、天主教輔仁大学、リール第三大学、パリ第七ディドロ大学、モスクワ大学などの研究者をお招きして、充実したシンポジウムを開きます。また、慶應大学名誉教授の鈴木孝夫先生のご講演もあります。
posted by 石田仁志 at 23:31| パリ ☁| Comment(0) | 日記風随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月02日

Bonne Année! パリの年末年始。

新年あけましておめでとうございます。
 今年は初めて海外で一人だけの新年を迎えました。とは言っても、周りの日本人の方々に温かくしてもらい、大晦日は山梨学院大学のH先生のお宅で、美味しいフルコース料理に舌鼓を打ちながらカウントダウン。
 新年は、MPFで日本人の方々と、お雑煮、鴨鍋、手毬寿司という日本食と、生牡蠣、シャンパン、カナッペ、りんごのコンポート、チーズ、ソシソン、ガレット・デ・ロワというフランス食の、楽しいパーティーでした。

 パリは31日から雪になり、氷点下の冷え込み。それでも人々は31日夜には凱旋門のカウントダウン・プロジェクションマッピングやダンスパーティに出かけていました。2016年はヨーロッパ各地でテロが相次ぎ、31日にもイスタンブールで、カウントダウンパーティーをしていたカフェが襲われ30人以上が犠牲になるという事件がありました。今年こそ、世界での暴力の連鎖と蔓延が終息することを願っています。

 私の海外研究も残り3ヶ月を切りました。2月にはリール第三大学、3月にはストラスブール大学での研究発表が待っていますので、しっかりと準備して、最後を締めくくりたいと思います。
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Masion des Provinces de Franceの部屋から見えるBoulevard Jourdan通りと、前庭の雪景色。
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TVで放映された凱旋門のカウントダウン。シャンゼリゼ通りの人混みがすごい。
Bonne Année!と言われて見知らぬ人に抱き付かれて財布を掏られるということがあるそうです。パリらしい話。
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こちらはなんと、生牡蠣の舟盛りです。大晦日にダゲール通りのDaguerre Mareeというパリで一番美味しい魚屋さんで牡蠣を買おうとして発見。
発泡スチロール製とは言え、日本の舟盛りでよく見る和船の形をしています。
これも日本文化の影響なのでしょうか。
残念ながら予約しないと舟盛りは買えなかったので、私はそのまま生牡蠣を4ダース買って帰りました。
posted by 石田仁志 at 21:18| パリ 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月20日

横光利一の足跡を訪ねて11.19−ヴァンセンヌ

19日は朝から晴れるとの天気予報通りでしたので、今度はパリの東端にあるヴァンセンヌの森にやってきました。『欧州紀行』には次のように書いてあります。
五月十八日
 樋口、岡本両君とヴンセンヌ*の森へ行く。一昨日から続いてゐる暑さが今日もつづく。広い森の中は人でいつぱいだ。人のゐない奥深くへ這入つて休まうとすると、雑木の中には、あちらにもこちらにも男女の二人づれが横になつてゐる。(中略)私はふとこの森を戯曲の一場面にしたくなつてノートを取る。パリー市民の理想は日曜日になると森へ男女で来ることだと云ふ説も耳にした。もうただ野蛮になりたくて仕方がないといふパリー人の苦しみ。
 第一の自然を征服し、第二の自然の技術を盡し、第三の自然である思想を、窮極まで押し縮めたパリーでは、どうかして第一の自然へ返りたく、野蛮な扮装をしてゐるのだ。これが第四の自然である。リアリズムはここにはも早やない。
 (欧洲紀行)*表記はワに濁点となっている。

 「岡本」とは画家の岡本太郎のことです。横光がパリに滞在中、太郎が連れ出し役になって市内を散策したようです。翌日には映画(「立体活動写真」と横光は表記していますが)を見に行き、夜にはブローニュの森へも出かけています(このことは先日のブログで書きました)。

 まぁ男三人でデートスポットの森の中をうろついたようですが、だからと言ってパリ市民が「野蛮」になりたがっているというのは、やっかみ半分か?とも思えなくはないですね。
 この場面を横光は『旅愁』の中では矢代一人で歩いたことにして、サラッと流してますが、『旅愁』の中ではリュクサンブール公園で延々とキスをする男女やカフェでの白人男性と黒人女性のカップルの姿に、パリではもはや恋愛は「リアリズム」ではなく、一種の「技術」=人工的な作為だと語っています。この『欧州紀行』の感想通りです。「恋愛」を「技術」だと表現するのは、たしか夏目漱石『行人』の中にもあったように記憶していますが、眼前で目撃している出来事に対して「リアリズム」はないと断言する横光の深い戸惑いがここには表現されているように思えます。
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とまぁ、横光はこのヴァンセンヌでは恋愛ショックしか受けなかったのでしょうか、残念ながらどこを見たとは記述していません。
これはヴァンセンヌ城です。12世紀に最初の館が置かれ、現在の城は1370年、シャルル5世の時に完成したそうです。堀に囲まれた小城塞、そびえているのは主塔。中世の城塞としては最も高いそうです(50m)。
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この小城塞はシャルル5世が造らせたものでこの中で執務を行っていたそうです。
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逆光でわかりにくいですが、遠方に広がるのがヴァンセンヌの森です。
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小城塞のテラスまでは見学できるようになっており、そこから城の内部やその向こうに広がるヴァンセンヌの森や町が見渡せます(塔の最上階へは行かれないのがちょっと残念ですが)。小城塞と向き合う形でサント・シャペルがあります(今は全面改修工事中でその美しい姿が見られませんでした…)。
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これは絵葉書から。美しいです。見たかった。
そうです、パリのシテ島にあるサント・シャペルを模したものです。シャルル5世が建立をはじめ、完成したのは170年後の16世紀後半、アンリ2世の時だそうです。まぁ気の長い話というか。
日本人とは時間感覚が明らかに違いますね。
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そのシャペルの内側から見たバラ窓とその天井の紋章。これも美しい。両脇のステンドグラスは残念ながら当時のものは失われているのか、見るべきものはありませんでした。
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これは城の入口の城門です。ここはフランス革命後はナポレオンの命によって近代的な軍事施設へと転用され、城内の居館の一つは、第二次世界大戦後に国防省の歴史資料を保管する図書館として使われているそうです(一般公開していましたが見ませんでした)。現在でも城の隣のヴァンセンヌ要塞はフランス軍の施設として使われています(たぶん)。
横光や岡本太郎はこの城を見たのでしょうかね。もちろん、当時はフランス軍の施設(弾薬庫)として使われていたので中を見学はできなかったでしょうが。何も記載はありません。

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こちらは森の一角にあるParc Floral de Paris(花公園)の中の森です。
もう紅葉も終わりに近づき、初冬の雰囲気。国木田独歩「武蔵野」の一節を想起させます。
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公園の中の鴨たちものんびり。美味しそうな……。ジビエ料理の季節ですからね。
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森の奥に続く道。
80年前に横光らが訪ねて来たとき、すでにMetroは走っていたわけですが、どこまで延びていたのでしょうかね。市内から来るとNationの次の駅がPorte de Vincennesで森の西端に接します。ヴァンセンヌ城はその森の先(パリから見れば森の奥)に位置しますので、そこまでは行かなかったのかもしれませんね。
posted by 石田仁志 at 20:53| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記風随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月14日

テロから1年

昨年の11月13日、パリはISによる同時多発テロ攻撃を受け、サッカー場やコンサート会場、レストランなど複数の場所で130人が犠牲になりました。あれから1年。今日はパリのあちこちの現場でオランド大統領と遺族による追悼式典が行われ、追悼プレートの除幕式がありました。フランスはテロとの戦いを再確認するとともに、静かに祈りをささげる一日となりました。
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今年の3月末にパリに来ることが決まっていた私の周囲でも、当時は「危ないからやめたほうがいい」「わざわざ行く気持ちがわからない」と言われ、私自身も一時は考えました。
しかし、今は思い切って来てよかったと思っています。もちろんフランスはいまだに非常事態宣言下です。今年7月15日に解除の予定が、前日の14日の革命記念日のニースでのテロ攻撃によって、来年1月まで延長されています。危険が消え去ったわけでもなんでもありません。ですが、パリは懸命に日常を取り戻そうとしているように見えます。
7月のニースのテロ事件で一旦は中止されたシャンゼリゼ通りの月1回の歩行者天国も、今は再開されていますし、マルシェ・ド・ノエルは昨年も開かれましたが、今年も例年通りに開催のようです。
こうした悲劇をどう記憶していくのかという点で、今回のプレート設置はヨーロッパらしい考え方だと思います。遺族にとってはその場に立つのもつらい現場でしょうが、それでも最愛の人の記憶の場所として他の人々とその悲しみを共有しすべきという考え方なのかもしれません(そう言えば、Alma-Marceauのところにはイギリスのダイアナ妃の死亡事故を追悼する大きなモニュメントも設置されています)。日本ではそういう事件や事故の現場に追悼の記念碑が立つということはあまりないことかもしれません。東日本大震災の震災遺構の問題にしても保存に至らずに忘却されていくものが数多くあるようです(それがいけないと言っているわけではありません)。ただ、今日のフランスのニュースを見ていて、「記憶する」とはどういうことなのか、前を向くために必要なことは何なのか、考えてしまいました。
posted by 石田仁志 at 07:48| パリ | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記風随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月11日

横光利一の足跡を訪ねて―サン・ジェルマン・アン・レー

アメリカ大統領選挙の波紋は簡単には収まりそうもありません。ドナルド・トランプの勝利を予想した人もしなかった人もこの結果から何を汲み取ればいいのか、考えなけばならないのは確かです。
お金持ちの子どもとして裕福な幼少期を送り、その後に親の資産と事業を受けついで今ではアメリカでも有数の資産家がなぜ、The Rust Beltと呼ばれるアメリカ中西部の失業者やグローバル化の流れに乗れない中間白人男性労働者の支援を集めるのだろうか。そんな支援者の不安や苦しみとは無縁の生活をしている彼に何を期待するのだろうか。
それは端的に言えば、生活向上(仕事と賃金)への期待なのでしょう。それは今の日本の政権への期待と似通っている気がします。暴言や差別があろうが、歴史修正主義者であろうが、今の閉塞感を変えてくれるかもという期待感の前では目をつぶる、それは単純化しすぎでしょうか。

とまぁ、あれこれ考える前の11月8日(火)にパリの西郊の高台にあるサン・ジェルマン・アン・レーに行ってきました。横光利一は『欧州紀行』の「4月23日」の日付のところで次のように書いています。
サンジェルマンへ行く。途中に椿姫がアルマンと一緒に棲んでゐたといふブーシバルを通った。ここはセーヌ河の上流でもあるから木の根も水に洗はれた静かな村だ。(中略)
サンジェルマンは高台で、六里彼方にある巴里の街のゆるやかな起伏が一望の中に見渡せる。林檎の花盛りだ。遠くモンマルトルの頂上の、サクレクールがかすかに春霞の中に浮んでゐる。林檎の花の下を蛇行してゐるセーヌ河は、古城の銃眼を高く一方に聳えさせ、延延とパリに向つて流れてゐる。風はうすら寒い。
フランソワ一世の宮庭の中を突き抜けて行くと、小梅桜が早くも満開を過ぎてゐる。(後略)

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これが17世紀にそのフランソワ一世が立てた城(Château Vieux)。完成させたのは次のアンリ四世。
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現在は国立考古学博物館になっています。あいにくと火曜日は定休日でした。
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横光も眺めたと思われるパリの方向の遠景です(パノラマ写真)。
この庭園のテラスの鉄製の手すり(全長約2q)は19世紀末には設置されていたそうですので、横光もきっと触ったのかなぁと思いながら眺めました。
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遥か彼方にかすんで見えるのはエッフェル塔です(秋なので「春霞の中」とはいませんが)。サクレクール寺院は残念ながら現代では手前のLe Défenseのビル群にさえぎられて見えません。
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しかし眼下に蛇行するセーヌ河は今も変わらずに見えています。
ただし、横光はここを「上流」として「巴里に向つて」と記していますが、実際は逆です。セーヌはパリからサン・ジェルマン・アン・レーの方へ大きく蛇行しながら流れてきており、ここは「下流」です。
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長さ2qはある直線の坂道。乗馬のためのものでしょうか。この城の敷地にはもう一つ小さな城(Château nuef)があり、ルイ14世はここで生まれ、1681年までChâteau Vieuxに暮らしたそうです。彼はヴェルサイユ宮殿を築城した国王です。
横光はこの城の庭で何を考えていたのでしょうね。
実はその三日後、フランスの選挙でレオン・ブルム率いる社会党が勝利し、「人民戦線」(1月に共産党と組んで結成していた)がファシズム勢力と対抗すべく成立していきます(選挙は5月にもあり、ブルム人民戦線内閣は6月に成立)。横光はその後の7月のパリのゼネストに巻き込まれ、アジアとヨーロッパ政治の激動を目の当たりにしたわけです。80年後の政治変革は日本にどういう影響をもたらすのでしょうね。ちなみに横光はパリへ向かう船上で二・二六事件の報に接しています。(そう言えば私は夏に参議院選での自民党勝利の報に接しました。)
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それはさておき、これは城の向かい側に立つサン・ジェルマン教会です。ロマネスク様式の素敵な教会で、裏手にはこの町で生れたもう一人の有名人、ドビュッシーの像があります。
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ドビュッシーの生家は現在、観光案内所になっており、二階の生家が公開されています。この写真は中庭の様子です(階段を上がるとドビュッシーが生まれた部屋があります)。時間がなくて見学しませんでした。
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ゴシック様式の大聖堂ほどの絢爛さはありませんが、教会内の空間は静寂に包まれ、ステンドグラスも美しく素敵でした。
さて、次は横光の足跡を訪ねて、ヴァンセンヌの森へでも行ってみましょうか。
posted by 石田仁志 at 06:43| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月02日

横光利一の泊まったホテル・藤田嗣治のアパート

Paris散歩11.01
昨夜は🎃ハロウィンナイト。パリでは日本のように街中で人々が仮装して遊ぶということはあまりないようですが、私の住むMaison des Provinces de Franceでは子供たちのお化けが部屋々々を回り、若者たちは仮装して深夜までダンスパーティーで盛り上がっていました。
で、11月1日は「諸聖人の祝日」です。秋のパリはどんよりとした天気が続くと言われていますが、今日は風もなく良い天気なので、お昼にモンパルナスまで散歩。
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まずはAlésiaのSaint-Pierre de Montrouge教会に立ち寄りました。1863年に建設された教会で、正面の時計塔が印象的です(写真では切れてしまって写っていません)。
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いつも買い物に行くときに見ている教会ですが、中に入るのは初めて。今日は「諸聖人の祝日」なので開いていました。中央の床のモザイクが素敵です。そして天井の横梁の構造が面白い。
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奥の主祭壇の天井には大きくイエスの絵が描かれています。
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そしてこれはジャンヌ・ダルク像。
なかなか素敵な教会でした。
さて、教会の横をまっすぐにAvenue de Maineをモンパルナス・タワーを目指していきますが、途中でRue Gassendiを右に曲がって、モンパルナス墓地の中を通るRue Emile Richardへと入ります。そしてそのままエドガー・キネ通りとラスパイユ通りにぶつかる交差点まで出ました。
以前に横光利一が1936年に宿泊したセレクト・ラスパイユ・ホテルがあったと言われる259 Boulvard Raspilがすぐ近く。
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この建物がそうで、それについてはすでにいろいろと言及されていますし、紹介もされています。
ただ、いま一つ、決定的な証拠はつかめていません。この番地の建物は現在は普通のアパルトモンのようで、以前にホテルであったという痕跡は見当たりません。
しかも横光は『欧州紀行』の中で次のように記述しています。
「ラスパイユのホテルの六階が私の部屋だ。広い墓場が眼下に見える。ボードレールもこの墓地にゐる。」(4月21日)
この建物は写真で見る限り6階建て(ただしフランス式の数え方だと5階)で、仮に横光の言う「6階」というのが日本式の言い方なら最上階になりますが、写真で見る限りは「屋根裏」にあたる階です。もしフランス式の「6階」ならこの建物にはありません。
さらに「広い墓地が眼下に見える」というのは、モンパルナス墓地が部屋から見下ろせるということでしょう。しかし、259番地はラスパイユ通りに面しており、墓地は道路の向こう側で、さらにもう一列の建物群の向こうということになります。「眼下」という表現とは少し違います。対面する建物は現在はEcole Speciale d'Achitecuture ESAという学校で、高さは低い建物です。ですので、「6階」からならその建物越しに墓地の一角(ただし東の端の部分)が見えるでしょう。墓地の中心部分は、その学校の隣に立つ次の写真の建物でおそらくは259番地からは見えないと思います。
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この建物は1908年に建てられたと壁に記されているので、間違いなく横光が来た時には建っています。
こうした状況を考えると、果たして259番地という番地は正しいのか、疑問に思えます。
「眼下に」墓地が見えるというのなら、上の写真の建物(この建物は8階建てで墓地に直接面しています)からなら納得しますが。ただし、それでも問題はあります。
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これは上の8階建ての建物を墓地側から見たところ。
お分かりのように、墓地側にはテラス窓はありません。小さな格子窓があるだけです。こちら側が南西面にあたるので、日当たりはいいのですが、素っ気ない感じです。もちろん、墓地は見えます。
果たして、横光が泊った「セレクト・ラスパイユ・ホテル」とはどこにあったのでしょうね。
翌1937年に今日出海が横光と同じホテルの同じ部屋に泊まったと回想記に書いているので、ホテルは存在したのでしょうが。まぁ、別の方法でもう少し、調べてみます。
さて、259番地をあとにして、エドガー・キネ通りに入り、モンパルナス墓地の入口へ向かいます。
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今日は菊の花がたくさん売られていました。
墓地の中は散歩する人でいっぱいです。でも私は今日は入りません(もう以前に来ましたし)。
入口を背に道を渡ってスクワール・ドランブル通りに入り、突き当りを右に曲がるとラスパイユ通りに戻る少し手前、5 Rue Delambreに藤田嗣治が1917年〜24年にかけて住んでいたアパルトモンがあります。
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現在も普通に使われているので、中には入れませんが、入り口の上には藤田嗣治が住んでいたことを記した記念プレートが掲げられています。何号室だったのかまでは書いていませんが。
横光利一「旅愁」の新聞連載初出の挿絵を描いたのが、藤田でしたが、横光がパリに来たときは彼はすでに日本に帰国していました。フランスで成功し、日本でも有名になった藤田がその後、戦時中の戦争画が遠因となって戦後に日本画壇を去ることは、『旅愁』の執筆がきっかけで戦争協力者として戦後に批判されて亡くなる横光の姿と不思議と重なります。しかし、藤田がパリではこうして大切に扱われているのを見ると、少しホッとします。横光の泊まったホテルも見つけてあげたいです。

posted by 石田仁志 at 02:58| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月24日

ロダン美術館へ行きました

今日は夕方から雨の予報だったので、午前中に急いでロダン美術館へ行きました。
先月に一度行ったら、閉館時間の早い日で入れなかったので、ようやくです。
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入口です。ここはロダンが亡くなる前にアトリエとした邸宅(Hôtel Biron)です。遺言に従って、国に寄贈され美術館となったところ。
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中庭側から見るとまるで宮殿。(形式はベルサイユ宮殿と同じです)
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入って右手の植え込みの中には「考える人」と「バルザック」の像がおかれています。
また左手には「カレーの市民」「地獄の門」があります。
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そして庭園の木立の中には多くの彫刻が配置されていて、落ち葉を踏みながらひとつひとつを眺めていくのは、本当に至福の時でした。IMG_4235.JPGIMG_4239.JPGIMG_4237.JPGIMG_4243.JPGIMG_4242.JPGIMG_4248.JPGIMG_4246.JPGIMG_4245.JPGIMG_4236.JPG
館内にもたくさんの作品があります。オーディオガイドは残念ながら日本語はありません。ガイドブックも韓国語はあるのですが、日本語はないのです(日本人の観光客は何故か来ない?日本でも見られるから?)。
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これはロダンの父親の胸像(と肖像画)。
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珍しい、ロダンの絵画も展示してあります。ちょっとターナーを思わせる、印象派風のなかなかの作品です。
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ここにも「考える人」IMG_4273.JPG
これは習作で、左手を顎に付けているバージョン。
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これはロダン作の「カミーユ・クローデル」
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モーツアルトです。
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ロダンの写真。
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ルノアール、ゴッホ、モネらの絵画も持っていたので、展示されている。ゴッホの「タンギー爺さん」は背景に日本の浮世絵が描かれていることでも有名な作品。2点あるうちの1点。
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これは弟子で愛人であったカミーユ・クローデル作の「ロダン」。
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そしてこれらはカミーユの作品。この老人のモデルはロダンで女性はカミーユ自身。大理石の方の作品では愛し合っている二人だが、ブロンズ像の方では、悪魔のささやきに耳を貸してしまったロダンが、愛を求めるカミーユの手を放して去っていく。(と私は解釈しました)
彼女はロダンの妻との三角関係から心を病んでしまい、ロダンのもとを去って入院し、第2次世界大戦中に誰に看取られることもなく病院で死んでいきます。才能豊かであった悲劇の女性彫刻家と言われています。
彼女の弟が詩人で駐日大使(1921〜27)であったポール・クローデルですね。
生前はロダンとの関係に苦しんだカミーユの作品が、現在、こうしてロダン美術館でともに展示されていることに、哀しみと共に複雑な思いを感じます。ピカソや藤田などは何度か結婚して、最後は愛する女性と晩年を送ったのに、カミーユはロダンが妻と別れなかったために、最後まで愛を得られなかったわけですね。
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やはり考えてしまいます。
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で、これはメトロの最寄り駅Varenneのホームにある「考える人」です。
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最後に、これはお土産で買ったポストイット。面白いです。お気に入り。
posted by 石田仁志 at 07:12| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記風随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月23日

シンポジウム「江戸川乱歩、あるいは近代日本の迷宮」第2日目

続きです。
その前に、この記事の中で体調を崩したとありますが、今はもう回復していますので、ご安心を。
今日はパリは久しぶりに一日中快晴で、秋の深まりを感じさせてくれました。
Cite Universiteの中の並木道。
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さて、以下は〈FBからの転載です〉

今日は午後からMCJPでの江戸川乱歩シンポジウム第2日目。画像や映画作品についての発表だったので、フランス語でも楽しめました。
最初はGérald PELOUXさんが乱歩の自伝的作品のエクリチュールとジャンルとの関係性についての話。次は翻訳者のMiyako SLOCOMBEさん、乱歩翻訳の表紙デザインが面白い。Mathieu CAPEL,さんは先月に小島太さんのサヨナラパーティでお会いした。映画「陰獣」「黒蜥蜴」の原作への批評と創造性についての話。Thomas LOOSERさんは乱歩作品における労働、犯罪描写の問題。最後はLivia MONNETさんが、若松孝二監督「キャタピラー」と塚本信也監督「双生児」を乱歩文学からの影響、そして現代社会への批評性として熱く語っていました(たぶん)。司会はPierre BAYARDさん。最後には90分にわたる総括質疑があって、2日間のシンポジウムは終了。
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私は中学生の時に乱歩の「人間椅子」や春陽堂文庫の乱歩作品集を読んだのが本好きになったきっかけで、今に至っているわけで、パリでこれだけ乱歩好きのフランス人やはりアメリカ人に会えるとは、人生面白いです。
さて、そのあと桐野夏生さんの講演会だったのですが、どうもここに来て疲れがドッと出たようで、身体が怠くて微熱が出たために、泣く泣く諦めて、帰りました。皆さんといろいろと話したいことがあったのに残念です。
ただ、無理は禁物と言い聞かせて。
posted by 石田仁志 at 05:12| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

江戸川乱歩シンポジウムin Paris「江戸川乱歩、あるいは近代日本の迷宮」

もう1週間前のことですが、FBから転載します。
パリ第7ディドロ大学とパリ日本文化会館で、10月14・15日の二日間、国際シンポジウム「江戸川乱歩、あるいは近代日本の迷宮」が開催されました。
日本からは巽孝之さん、浜田雄介さん、中川成美さん、中村三春さん、落合教幸さんが参加されていました。

〈以下はFBの書き込みです〉
江戸川乱歩シンポジウムの第一日目が終了!パリでどっぷりと乱歩に浸かって来ました。と言いたいところですが、発表はフランス語と英語と日本語が通訳なしで飛び交い、質疑応答は英語が基本。
日本語しかできない私には1/3しかよくわからんという状態(ToT)
甘かった。それでも日本語での発表要旨が付いていたので、懸命に追いかけました。自分ではわかったつもりになって、まぁ面白かったですよ。
日本での研究発表とはやはり土俵が違うというか、最初から話がどんどん広がって行って、日本でのライトノベル、フランスやアメリカの文学(ポーやルブラン、ドイルだから当たり前)との関係性やら、映画、セクシュアリティ、震災………と。まぁスペクタルな展開でした。お腹一杯です。
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今回のカンファレンスの司会であり、責任者のセシル坂井さん(ディドロ大学)
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第二セッション「乱歩の師と仲間たち」
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初日が終わって、中川さんとキース・ヴィンセントさん
posted by 石田仁志 at 04:43| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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