昨日は学会の役員会の梯子でした。
お昼からは昭和文学会の幹事会と研究集会。

大正大学でした。なかなか立派な正門です。
東洋大学からは駅3つで、近いのですね。
研究発表は時間の関係で、最初の丁熹貞ジョン・ヒジョンさんの〈「壁――S・カルマ氏の犯罪」に見る安部公房のカフカ受容――花田清輝訳『カフカ小品集』を視座として〉だけ聞きました。
カフカのドイツ語原文と、花田が参照した英訳の本文、そして花田訳、さらには現代の池内紀訳などを比較して、花田訳のカフカ短編(とくに「橋」)の特徴を浮き彫りにする、とても丁寧な発表だったと思います。丁さんの結論としては、花田訳は、カフカを『変身』の実存主義的な作家としてではなく、寓話作家として捉えており、その翻訳を通して寓話/現実という対立軸を提示していると指摘していました。
そして、安部公房は「壁」を発表する直前に花田訳の『カフカ小品集』をめぐる研究会に参加しているという事実を指摘して、そこからのカフカ受容が、「壁」を実存主義的な作品というよりは寓話的作品という性格を帯びるものにしたという推論でした。
最終的に、安部が花田訳をどこまで読み込んだと言えるのか、その証明は難しいところで、客観的な論拠を示すところまではまだ調査が進んでいないとのことです。しかし、とても刺激的な内容でした。無論、カフカの翻訳は花田訳以前にも存在しており、安部も花田もそれらからの需要という問題は残ります。また、安部公房の文学世界における「寓話」とは何かという、大きな問題もあります。そうしたところまでつながって行けば、安部の小説を単純に「実存主義的」という言葉で理解することはできないことがより明確になるかと思います。
私はその後、夕方からの日本文学協会の委員会に出席するために、一旦、研究室に戻りました。
そこで「偶然の出会い」があったのです。
たまたま東洋大学の6号館1階で横光利一文学会の事務局を探しているご年配のご家族にお会いしました。
その方は、大阪から来られた、梅田卓さんとそのご家族の方でした。
梅田さんは伊賀上野のご出身で、子どもの頃に住んでいた家は横光利一が幼い頃に借りて住んでいた家だったのです。つまり、以前の横光家の大家さんの息子さんだったのです。
その旧家跡は上野の「横光公園」に隣接する場所にあり、今年の7月22日に「横光利一こころの故郷公園 跳ね釣瓶の庭」として一般公開するそうです。そのことは私も別の方(やはり偶然に電話で知り合った、上野の書家の福川良さん)から聴いていたのですが、まさか、旧家のご家族の方に直接お会いすることになろうとは思ってもいませんでした。
しかも、昨日はたまたま私が大学へ立ち寄り、1階で部屋を探していた梅田さんにたまたまお声をお掛けしたことからお話しできたわけですので、その偶然のあまりの重なり合いに驚きました。

中央が梅田卓氏、左が奥様で、右がお嬢様です。
梅田さんはとてもとてもお元気な方で、横光にまつわる秘話を教えて下さりました。
その跳ね釣瓶の井戸については、井上謙さんが『横光利一研究』第10号の「横光利一雑感」というエッセイの中で梅田さんことをご紹介しながら書いていらっしゃいます。興味のある方は、そちらをお読みください。(『横光利一研究』は横光利一文学会で販売しています)
この井戸は横光の初期作品である「火」と「笑われた子」に登場します。「火」では単に「井戸」としか出てこないのですが、「笑われた子」の跳ね釣瓶の井戸と同じだそうです。
「秘話」として教えて下さったのは(ここに簡単に紹介します)、「火」のラストでランプの火からボヤを出す場面が描かれていますが、あれは事実だそうで、横光家はその借りていた家の二階の部屋でボヤを出したことがあるということでした。
「その部屋はその後、私の勉強部屋でして、黒く焦げたところがずっと残っていましたよ」と梅田さんが教えて下さりました。
横光家に貸していた旧家の図面と建築模型を梅田さんは作ったそうで、それは一般公開はしていないとのこと。私も以前に「火」については論文を書いたことがありますので、是非とも、機会があれば拝見したいと思いました。
7月に上野に行ければいいのですが、今のところ、別の仕事が入っていて、その日はいけないのが残念です。
その新公園の公開については、いずれ中部地方の新聞に記事が出るかもしれないので、楽しみにしています。
横光利一が導いてくれた「偶然」なのかもしれないです。
posted by 石田仁志 at 16:10| 東京

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研究断章
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